ビノンコ島の徒然語り
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Wakatobi_South East Sulawesi, 2015 |
宿のない島だったので島民の家にホームステイさせてもらいました。
その滞在中耳にした、ビノンコ島について語られたこと。
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他の島のひとたちは、ビノンコには太陽が二つあると言うのだそうです。
そのくらい陽射しと暑さが厳しい島。
雨も一年のうち数ヶ月しか降らない乾いた島ではありますが、それでも島民の飲み水は貯めておいた雨水を沸かしたもの。
井戸水は塩っぱい(海水が混ざっている)から。
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Wakatobi_South East Sulawesi, 2015 |
家々の軒先でよく見かける壺。ここに雨水を貯めておくのです。
ビノンコは石灰質のフラットな島で、木々の繁る森はわずかしかなく、あちこちでごつごつとした地表がむき出しになっています。
そんな地面にひたすら植えられているのがキャッサバ。芋状の根を食用とする(葉も食べます)根菜です。
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Wakatobi_South East Sulawesi, 2015 |
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Wakatobi_South East Sulawesi, 2015 |
土は雨で流されていて、地表にはほとんど残っていないのですが、石灰の地面のわずかな穴に苗を挿し、枯れ草などで覆っています。
キャッサバ自体はインドネシア各地で植えられている植物で、例えば肥沃な西ジャワの土地であれば数ヶ月後から収穫ができます。
けれども、このビノンコでは、収穫は一年後。ゆっくりゆっくり育って、それでもジャワよりだいぶ小さなもの。
このキャッサバを収穫して、ビノンコの人は隣のトミア島で週に三度ある市に売りに行きます。
西風の季節(雨季)の間だけは、トウモロコシやウリなども植えられるとのこと。
他の島のひとたちは、ビノンコの人は我慢強いと言うのだそうです。
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Wakatobi_South East Sulawesi, 2015 |
東風の季節(乾季)になると、島の男たちは船で漁に出て長く戻りません。
また、一部の住人はマルクのブル島に丁字(クローブ)の農園を持っていて、
8-10月は収穫の季節なので、やはり男たちは島から出て行ってしまいます。
その間、女たちは、収入のためにキャッサバなどを育てて帰りを待つのだそうです。
何ヶ月でも。何年でも。最長二十年夫の帰りを待っていたというひともいたのだとか(夫も二十年後に帰ってきたらしいです)。
この土の薄い石灰石の島なのに農業が盛んなのは、そういうわけなのです。
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かつてビノンコでは、島の中央の丘の上まで沢山の人たちが暮らしていたのだそうです。
ですが、日本の軍政期に島を一周する道路の整備などで労務者として駆り出されるのを嫌がった人々は、
日本軍の偉い人たちの集会がある夜を狙って、船で逃げたのだと言われています。
(逃げた先は、東ヌサトゥンガラ集のロテ島)
そして戦後、内陸側に住んでいた人たちも海沿いに移され、今のような沿岸部に集落が集まる島になったのだとか。
他の島のひとたちは、ビノンコには魚と話せるひとがいると言うのだそうです。
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その真偽はわかりません。
わたしが訪れた時期はもうじきツナ漁が始まるという時期でした。
バイクで島を案内してくれた青年曰く、
「昔、ボートを漕いで漁をしていた時代は、ツナも船のそばでのんびりしていた。
だから、すぐに捕れた。
でも、エンジンをつけるようになってからは、うるさいからツナは逃げるようになった。
だから、今はもう追いかけないと捕れない」のだそうです。
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船と言えば、漁港に停泊していたこの船。
これは、西/東ヌサトゥンガラ州から、建材としての木材を運んでくるための大きめの船なのですが、
たった一つだけ残っている、ビノンコ型の船なのだそうです。
一般的なのは、ブトン型の船(下:ブトンはワカトビに最も近い南東スラウェシの島)で、
そのブトン型の船に比べるとビノンコ型の船は、帆柱が高く幅が広いのが特徴です。
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Wakatobi_South East Sulawesi, 2015 |
作物の育ち難い島ですが、椰子の木は沢山生えていました。
椰子の実の胚珠を乾かしたコプラが椰子油の原料として取引されるため、
椰子の木は現金収入につながる作物として、インドネシア各地の島々でよく植えられています。
けれど、このビノンコには「コプラ産業はない」のだと言われました。
「コプラに加工してしまうと、翌年には椰子が実を付けなくなる」という説が信じられているのだとか。
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似たような話しで、ウミガメの卵を採った時、そして知人なりに道で会った場合は、その卵を分けてあげなくてはいけないと言います。
独り占めしてしまうと、翌年ウミガメは卵を産んでくれなくなるのだそうです。
ウミガメが来るの?と聞いたところ「毎年10月頃に産卵に来る」との答え。
同じ頃には鯨も通るのだそうです。
「モグラたたきのモグラみたいに、ぴょこぴょこ通る」と言われました。
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井戸水には海水が混ざり、雨水を貯めて飲み水とし、台所用の薪を軒下に積んでいるビノンコの暮らし。
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一方、すぐ隣のトミアでは、台所には石油コンロがあり(薪も使う)、水も真水で、ガロンの飲料水も売られている。
トミアには自動車も沢山走っていて(ビノンコは島に二台のみ)、
時々途切れるものの電気も一日中ついている(ビノンコは日没から日の出まで)。
ボートでたった一時間の距離でも、その差ははっきりと見えるのでした。
それでもビノンコのひとたちは、強く不満を述べるでもなく(ないわけはないのですが)、穏やかでよく働くひとたちでした。
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ちなみに、ビノンコのお母さんたち曰く、台所でガスを使うのは「(爆発が)怖いからイヤ」だそうです。
ビノンコ島の話しは、もう少し続きます。
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