ボティ村の学校

Boti_East Nusa Tenggara, 2019

5月の終わりに、東ヌサトゥンガラ州にあるボティ/Boti 村を訪れました。
その村で出会ったひとりの先生と、彼女の教える、まだ新しくて小さな学校のお話しです。

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ボティ村は、東ヌサトゥンガラ州中南部の山中に位置する、人口3,000人ほどの村です。
インドネシアの首都ジャカルタからは、直線距離でほぼ2,000km。


ティモール島の山の中。携帯の電波も届かず、人々は主に農業で生計を立てています。

South Central Timor_East Nusa Tenggara, 2019

この村で織られている布を見るために訪れたのですが(そのお話もまたいずれ)、
村に泊まった翌朝、坂を駆けて学校へ向かう子どもたちの足音に釣られ、散歩にでかけました。

Boti_East Nusa Tenggara, 2019

坂を下って村役場のある方まで。
途中、沢に水を汲みに行く人たちや、薪を集める人とすれ違います。電気も水道もガスもない村です。
そして、1枚目の写真の建物の横を通りかかったのです。

椰子の葉茎の壁、椰子の葉の屋根、ガラスの入っていない窓に土間の床、7人の生徒たち。

高校でした。

写真の中央にいるのが先生。
「今日はテストなの」と言いました。
テスト前に少しだけ、話しを聞くことができました。

一棟だけのこの木造の建物が校舎で、出来て1年。7人の生徒が1年生で、もうじき次の学年が入ってくること。
先生はボランティアとしてスマトラ島のメダンから村に来ていて、立ち上げを含めもうじき2年になること。
村の首長たちと相談して高校を作ったこと、学費は全て無料であること、そして彼女も無給であること。
彼女のバックグラウンドは宣教師であること、そして、行政はあてにならないこと。

Boti_East Nusa Tenggara, 2019

入り口から入って手前側が教室、奥のスペースには本を置いて、放課後の小中学生にも解放する図書館としています。
ホワイトボード、4つの机、8つの椅子、本棚と本たちと、1つの壁掛け時計。
それが、この高校の全てでした。

Boti_East Nusa Tenggara, 2019

校舎の前で写真を撮り、お礼を言って散歩を続けました。更に下った小学校まで。
そして、元来た道を戻りました。
彼らの高校を通り過ぎ、しばらく行った辺りで、後ろから駆けてくる足音が聞こえてきました。
生徒の一人が、先生の連絡先を書き留めたノートの切れ端を持って、追いかけてきてくれたのでした。

翌日、村を後にして街まで戻り、携帯の電波が入るようになってから、先生にメッセージを送ってみました。
彼女が電波のある所にいる時に返信が来るのですが、やりとりの中で、詳細がだんだんわかってきました。

このボティ村には公立の小学校と中学校があります。
朝、ゴム草履の音を響かせながらみんなで駆け下りて通学していたのが、その小中学校の児童たち。
(本来学校へは靴を履いて行くのが決まりですが、村の子どもたちは草履がほとんどでした)

Boti_East Nusa Tenggara, 2019

中学を卒業した子どもたちが高校へ進学する場合、山を下りた町の公立高校へというのが従来のパターン。
ただし、通学するには遠すぎるため、親元を離れて町にいる親戚の家や下宿などに住むことになります。
学費の他に生活費がかかり、お金が必要になるのです。
ボティ村の人々の全てがそれに足る現金を用意することが出来る訳ではありません。
日々の食料の多くを自分たちの畑から得て、わずかな現金はその他の生活用品を揃えるのに使う村の暮らし。
結果、中学まで学校に通っても、それ以降の進学を諦める子どもたちが多かったのだと言います。

そこで、先生と村の人々とで、村に高校を作ることにしたのだそうです。
全ての費用は、彼女を含め私費と寄付で賄われてきました。
彼女が教えられない科目は、村の中学の先生が、これも無償でヘルプに入り、
ジャワ島などにいる彼女の友人たちから、靴や文房具などの支援があったりもしたそうです。
彼女は2年の任期という前提で村に来ているのだそうです。
その2年が過ぎようとしている今、この先への不安が大きくふくらんでいる折りに通りかかったのが私。
写真を撮って去って行った私と、どうにかつながりを作れないかと思った時、生徒が、
「携帯とか、SNSとか!」と言い、慌ててメモをして、そして私を追いかけて来てくれたのだそうです。
「携帯の通じない村なのにね、みんなちゃんと分かってるのね」と先生は笑いました。

普段、私はあくまでも通り過ぎる旅人でしかありません。
旅先で出会った人と楽しくひと時を過ごして、ありがとうと言って去る、そういう立場でスタンスでした。
けれど、今回は、関わりたいなと思いました。

たとえ今、私が何かしらのサポートをしようとしたところで、出来ることは限られています。
この先更に1年を支えることすら出来ない、その先どれだけ継続していけるかも分からない。
けれど、もしかしたら何かのタイミングで、大きな支援が入るようになるかもしれない。
その時までこの学校をつないでいく、その助けになれるのであれば、やらないよりずっといい、と思うのです。

もし、これを読んでくださった方で、同じように思ってくださる方がいたら、どうぞメッセージを下さい。
この下のコメント欄でもいいですし、
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最後に、先生からのメッセージを。

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Boti_East Nusa Tenggara, 2019

初めまして、デウィ・フィトリ・ラオリ/Dewi Fitri Laoliです。
東ヌサトゥンガラ州中南ティモール県キエ郡ボティ村で、初の高校の立ち上げに携わっています。
現在所属している特定の組織団体はありません。

ボティ村に来て、ほぼ2年。
私がこの村にいる一番の理由は、この村がより良くなることへの願いです。
大好きなこの村の子どもたちが、最低でも12年間の十分かつ適切な教育を受けられることを望んでいます。
(この村から公立高校への道のりはなかなか遠いのです)
私自身は、元々大学で神学を学んでいましたが、教育の分野に進む道を見つけ、教員資格を取りました。
現在、特定のスポンサーがいるわけではなく、ここでの活動は全て自己資金で行っています。
給与はありません。
食べるに事欠くこともありますが、それでも学校で教えることを第一にと考えています。
私は、人生というのは決して長くはなく、
その過程がどれほど困難であっても、何かしらの足跡を残すための短く限られたチャンスなのだと思っているのです。

私たちの高校はトゥナス・ハラパン・ボティ/Tunas Harapan Boti(ボティの希望の芽、という意味)という名称です。
現在はクパン/Kupang(ティモール島西部に位置する東ヌサトゥンガラ州州都)のある高校の傘下にあります
ボティ村の中学校の先生数名がボランティアとして協力してくれているお陰で、教員は5名となり、
授業以外の業務は、事務員を雇う費用もありませんし、私が全て行っています。

7月から新学期となります。
学校の設備の補充が急務となります。
机、椅子、黒板、黒板消し、現代技術に取り残されないようパソコン(数ヶ月内に村に電気が通る予定です)、
そして、簡素でもいいので、次に雨季が来た時に雨漏りのしない、授業が妨げられないだけの十分な建物、
また、新入生を迎えて授業が増えるに際し、
現在ボランティアでやってくれている他の先生たちにお給料を支払えるようになれば、と願っています。
(善意に頼っていることで、いつか先生たちが他へ移って行ってしまうのではないかと心配なのです)

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話しをすると、普通の20代の女性なのです。
なのに、電気もガスも水道も携帯の電波もない村で、学校を立ち上げるという、
普通では出来ないようなことをしようとするその意思を、そこに出会えたという縁も含め信じてみようと思います。




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