ワカトビのバジャウ集落
Wakatobi_South East Sulawesi, 2015 |
ワカトビの、ビノンコを除く島々にはバジャウ人たちの海上集落があります。
バジャウ人は海に暮らし、海での狩猟採集を生業とする民。サマ人と呼ばれることもあります。
(サマは自称、バジャウは他称、という話しも)
そんなバジャウ人についてと、ワカトビのバジャウ集落について、聞いた話しや読んだ話しなど。
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ワカトビの一番はずれの島、ビノンコから、空港のある島であるワンギワンギへ、島を順番に戻っていきました。
ビノンコの隣のトミア島。そしてカレドゥパ島。隣にある小さなリゾートアイランド、ホガ島に寄って、そしてワンギワンギ島へ。
ワンギワンギに向かう前に、カレドゥパのバジャウ集落にまず立ち寄りました。
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浅瀬の杭上住宅を板の橋が繋ぐ海上集落。
非常に簡易な作りに見えますが、居住区としてきちんと認められた集落。
立派な小学校もあります。
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そしてワンギワンギの、モラと呼ばれている地区。島の一部というより、島に隣接して作られた居住地区という様相。
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カレドゥパ同様の浅瀬の杭上集落も一部ありますが、半分ほどは海上集落というより遥かにしっかりした、堀を切った集落です。
モラは全部で五つの村からなり、2015年時点で2,021世帯、7,494人が暮らしているとのことでした。
バジャウ人は子だくさんで知られてるそうで、子供が十数人ということも珍しくないそう。
また、この家屋一軒に四世帯が暮らしている、という場合もあるらしく、人口密度は非常に高い地区です。
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モラの人々は、1996年にカレドゥパの水上集落から移り住んだ人たちで、
現在はスラウェシ南部で最大規模の集落となっている、という話しを現地で聞きましたが、
鶴見良行著『辺境学ノート』(1988年めこん)のワカトビ旅(1984年)についての記述に既に、
モラはカレドゥパからの分村で、本村より豊かになっている旨の記載があります。
なので、この96年というのは何かの間違いだと思われます。
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このモラの人々も基本は海から生活の糧を得ています。
バジャウの人たちの漁は基本的にリーフとその近辺で行われるもの。
漁具は手作りの水中メガネや疑似餌、スピアガンなど。
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水辺では網にかかった小魚をせっせと外すひとたちが。
海に暮らす狩猟採集民、と書きましたが、
バジャウの人々は元々は家船で移動をしながらナマコや白蝶貝、フカのひれなどを得て暮らしていた人たち。
現在はこの集落のように各地での定住化が進んでいますが、それでも集落間の行き来や、遠い漁場まで出向くこともあると言われます。
村井吉敬著『サシとアジアと海世界』(1998年コモンズ)の中に、
1992年オーストラリア北部の海域で拿捕されたバジャウ船の話しがあるのですが、その船はこのモラのバジャウの船だったそう。
エンジンのない帆船をあやつる彼らは、モンスーンの風に従い、漁場を求め、
東ヌサトゥンガラ〜ティモール〜マルクの海域を、長期にわたって航海していたのだとあります。
パラオ諸島やマリアナ諸島などミクロネシアの島々まで漁に出る、というモラのバジャウ人の話しも。
「シーノマド」「シージプシー」と呼ばれることもある、バジャウのような海の採集民は、東南アジア海洋部一帯に存在します。
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東洋大学の長津一史准教授の『スラウェシ周辺海域のサマ・バジャウ人』という論文からざっと抜粋すると、
フィリピン南東部のスルー諸島やインドネシアのスラウェシ島沿岸部に住むサマ(バジャウ)人の他、
マレー半島南西部のオラン・ラウト、ミャンマー南西部のモーケンなどが船上居住者として知られており、
彼らの身体的特徴、言語、アニミズム的信仰が、マレー半島南部のリアウ・リンガ諸島の狩猟採集民のものに類似することや、
サマ/バジャウ人やオラン・ラウトがリアウ・リンガ諸島に近いジョホールを自らの起源とする神話を持つことなどから、
東南アジアの船上居住者は元々単一の民族であり、リアウ・リンガが起源であるとする説と、
リアウ・リンガ諸島とスルー諸島の間には物質文化や言語面での伝播経路を確認できないことや、
スルー諸島のサマ/バジャウの社会組織や信仰は、他の船上居住者は共通性を持たないことから、
それぞれ別民族であるとする説の二つがある、とあります。
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村井吉敬さんは前出の本の中で、断言は避けつつも後者の説寄りの意見を述べているのですが、
わたしがこの海洋民のルーツの話しを思い出したのは、ワンギワンギのモラでも「ジョホール起源説」を耳にしたからです。
曰く、
「バジャウ(Bajau、時にBajoとも言われる)はBangsa Johor(ジョホール民族)の略だ。
ジョホールの女性が、ヌサンタラ(=インドネシア)に攫われ、それを救うためジョホールの民がインドネシア各方面に散らばった。
それが今のバジャウ/Bajoなんだ」
印象ですが、恐らく、後付けの説です。
このジョホール起源説については、先の長津論文の中にも、
サマ/バジャウ人の歴史的想像力に訴えかける物語であったために付け加えられた新しい伝承であろうという見解も記載されています。
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フィリピン南西部のスルー諸島からマレーシアとインドネシアのボルネオ/カリマンタン北〜東沿岸、
そしてインドネシアのスラウェシ島周辺に暮らすサマ/バジャウの人たちは同一のルーツであろうと言われていますが、
それでも、スラウェシ周辺とスルー諸島からボルネオ辺りの人々では言語の相互理解性が見られず、
おそらくはかなり初期に分裂したグループなのではないかと言われています。
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長津一史准教授はスルー諸島からインドネシア域におけるサマ/バジャウに関する論文を多く出されていて、
見つけては拾い読みしていくと、
広域に広がるバジャウ人たちの、そもそもの移動の動機は漁撈活動の活動域を求めてのものだったが、
近年においてはそこに、国家支配、植民地支配、強制的な学校教育を避けての移動、という要素も加わった。
そもそもが定住性が低く自在に越境する人々であったため、植民地時代の宗主国であるスペイン、アメリカによる圧力を避け、
スルー諸島からボルネオ/カリマンタンへ、より支配の弱い地域へと移動した。
彼らの漁撈活動のほとんどは珊瑚のリーフにおいて行われる。
その漁は、全長五〜十メートルの小型の船で、家族で寝泊まりしながら時に長期にわたることもあり、
また女性も直接的に漁に参加するこのあり方は、リーフ内の海が基本的に常に凪いでいることから可能になっていることである。
居住地としても彼らはリーフなど浅瀬を選び、そこに杭上家屋を建てる。
これは漁撈域としての選択というだけでなく、支配力を持つ植民地勢力の大型船の接近を阻むという地の利もあった。
など、興味をそそられる話しが沢山出てきます。
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かつては家船に家族で暮らし、自在に移動していったと言われるバジャウ人ですが、現在そのほとんどが定住化しています。
スラウェシ周辺で何カ所かバジャウ集落を訪ねてきましたが、家船は一度も目にしたことがありません。
ワカトビのバジャウ集落も浅瀬の海上。周辺では小舟を用いての採集作業を行っているのを目にすることができます。
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自在に移動する海の採集民としてのバジャウ。
その性質がネガティブに働く場合もあります。
現在はその海中世界の美しさが知られ、国立公園に認定されているワカトビですが、
一時期はダイナマイト漁法による珊瑚の破損が激しかった地域だと言われています。
それを行っていたのが、バジャウ人たち。
売れるものを採る、そして、採れなくなったら移動する。そこに、資源保全という概念は生まれ難いのかもしれません。
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ビノンコ島にはバジャウの集落がありません。
区長さんが言うには、杭上家屋を建てようとしたバジャウ人はいたものの、珊瑚が壊れるからと禁止したのだそうです。
「ダイナマイトも毒(恐らくシアン化合物)も、ここでは使わせない」と言いました。
漁師の島なので、その海域の資源保全というのはとりわけ重用視されるのでしょう。
ビノンコ島はアダットと呼ばれる地域の慣習が強く残っている島で、
「法律なら抜け道もあるだろうが、慣習にはそれは通用しない」と、慣習法を用いてバジャウ式の漁を禁止したのだと言います。
(現在では、ビノンコ以外の島々でも、ダイナマイトやシアン化合物を用いた漁は行われていないとのことです)
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バジャウ人の集落は、訪れた先で機会があればのぞいてみています。
海の上に暮らす人々。
陸の集落の間をバイクが走るように、海の集落の間を小舟が渡ります。
陸の子どもたちが路地裏を駆け回るように、海の子どもたちは水に飛び込み自在に泳ぎ回り、
陸の子どもたちがミニカーで遊ぶように、海の子どもたちは小舟のおもちゃで遊びます。
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ワンギワンギの集落で、聞いた話しを次回また。
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