ビノンコ島の鍛冶屋
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Wakatobi_South East Sulawesi, 2015 |
ワカトビと呼ばれている地域、今ではあまり耳にしなくなりましたが、元々はトゥカン・ブシ諸島と呼ばれていた地域です。
トゥカン・ブシ=Tukang Besi=鍛冶屋。
鍛冶屋諸島のビノンコ島で、鍛冶屋を訪ねた時のお話です。
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鶴見良行著『辺境学ノート』(1988年、めこん)の中に、鍛冶屋の話しが出てきます。
1984年にワンギワンギとビノンコの鍛冶屋を訪れた鶴見ら一行、
いずれも島外から自動車の古鉄を輸入し山刀(パラン)を打つ。打ち手とふいご係の二人一組であったとあります。
その鍛冶屋たち、ビノンコ島のポパリア村にまだいました。
元々ビノンコの鍛冶屋に由来してこの地域が鍛冶屋諸島と呼ばれるようになり、一時期他島にいた鍛冶屋たちも元はビノンコ出身、
中でもこのポパリアは鍛冶屋の多く暮らす村だったのだそうです。
村に入ると、カンカンカンカンと鉄を打つ音が聞こえてきます。
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Wakatobi_South East Sulawesi, 2015 |
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Wakatobi_South East Sulawesi, 2015 |
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Wakatobi_South East Sulawesi, 2015 |
今ではふいごは既に使われておらず、モーターで適時風を送って火を焚いていました。
燃料は炭。
材料となるのは、スラバヤから入ってくる廃車の部品。以前はシンガポールから入れてたこともあるそうです。
真っ赤に焼けた鉄板を、向かい合った二人が息を合わせて交互に打っていきます。
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Wakatobi_South East Sulawesi, 2015 |
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Wakatobi_South East Sulawesi, 2015 |
基本は二人作業ですが、一人もくもくと打っているひともいましたし、それぞれの様子。
以前は漁業を引退した人が鍛冶屋になることが多かったようですが、現在は兼業がほとんどとのこと。
地打ちと研ぎの作業は分業されている場合が多いのだと聞きました(両方ひとりでやる人もいる)。
ビノンコの鍛冶屋が打つのは、今も昔も山刀。
マルク地方が販売先なのも、昔から変わっていないのだそうです。
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香料諸島として知られるマルク地方。
木々を相手とした農作業従事者の多い土地で、特にココナッツの実を落とすコプラ生産の場では山刀が重宝がられるのだそう。
最近では目にすることもほとんどなくなってしまいましたが、古い千ルピア札にあった人物画。
あれは、マルク地方を代表する英雄パティムラの肖像なのですが、
あのパティムラが胸の前で構えている山刀こそ、このビノンコの鍛冶屋の打った山刀なのだと言われています。
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どうしてこんな外れの小さな島で鍛冶屋なのか、不思議ですが、理由はわかりませんでした。
パティムラの山刀がビノンコの山刀だとしたら、彼は1817年に命をおとしたオランダ植民地時代の英雄ですから、
その時代から、このビノンコでは鉄を打っていた、ということになります。
当然、廃車から鉄材をとってくることはあり得ません。
石灰質のこの島と鉄がどうつながるのか、謎は謎のままです。
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Wakatobi_South East Sulawesi, 2015 |
ワカトビの外れのビノンコのお話はここまで。
次回からは、ワンギワンギのバジャウ集落で見聞きしたお話を。
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