ビノンコ島、村のお祝いと言語

Wakatobi_South East Sulawesi, 2015

ビノンコ島ではワリという村の区長さんの家に泊まらせてもらっていました。
そのワリでの滞在中、一日に五回ごはんを食べた日の話し。

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朝ごはんを食べた後、区長さんが「今日は村のお祝いがある」というので、喜んで「一緒に行きたい」とお願いしました。

まず、一軒目は、どうやら新築の家のお披露目会。

ワリも含め、ワカトビの伝統的なスタイルの家は木造の高床式のもの。

Wakatobi_South East Sulawesi, 2015

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ですが、新しく建てられる家々は現代的な、ブロックやレンガやタイルでできた家。
お披露目される家も、そういう現代的なスタイルの家でした。

Wakatobi_South East Sulawesi, 2015

入り口に近い部屋には絨毯が敷かれ、正装の男性たちが車座になって座り、タバコとマッチの入った皿が回されていきます。
女性たちは隣の部屋で、わたしはそちら側にいたのですが、つまりそれは区長さんから離れて見知らぬ人たちの中にいるということ。
なので、実際のところなにが行われているのかは、よく分かりませんでした。

その女性たちの部屋のその奥、台所からのつながりのスペースではどんどん食事の用意が進みます。

Wakatobi_South East Sulawesi, 2015

白ご飯、肉料理、野菜料理、卵料理、甘いお菓子。
勧められるままに、いただきました。この日二度目のご飯。

食事をいただき、しばし談笑し、おいとまを。

Wakatobi_South East Sulawesi, 2015

家の外にもテントを張って食事が。スピーカーがあるので、この後は歌って踊ってだったのだと思われます。

次のお宅。裏側からおじゃまします。

Wakatobi_South East Sulawesi, 2015

Wakatobi_South East Sulawesi, 2015

Wakatobi_South East Sulawesi, 2015

女性たちがせっせとココナッツをすり下ろし、椰子糖と合わせて火にかけています。
なにか甘いものになるのだろうな、とは思っていましたが、出来上がって出されたものは、予想を上回るサイズ。

Wakatobi_South East Sulawesi, 2015

おにぎりで言ったら三つ分は軽くありそうな白ご飯に、先ほどの椰子糖と合わせたココナッツ。
ウンティと呼ばれるこれは、ちょっとしたお祝いの席の定番なのだそう。軽食扱いです。ということで、三度目のごはん。

こちらは結婚式でした。
新郎側の家だったらしく、これら甘い「軽食」が振る舞われたあと、おもむろにみんなが移動を始めます。

Wakatobi_South East Sulawesi, 2015

Wakatobi_South East Sulawesi, 2015

Wakatobi_South East Sulawesi, 2015

Wakatobi_South East Sulawesi, 2015

Wakatobi_South East Sulawesi, 2015

枕、スーツケース、ゴザ、薪、香辛料、ココナッツ、を携えたひとたちが家から出てきます。

Wakatobi_South East Sulawesi, 2015

Wakatobi_South East Sulawesi, 2015

Wakatobi_South East Sulawesi, 2015

新郎(若干気が弱そうですが)は短剣を。ジャワのクリスに似ています。

一同、バイクや荷台に乗って村の反対側まで移動します。

Wakatobi_South East Sulawesi, 2015

Wakatobi_South East Sulawesi, 2015

Wakatobi_South East Sulawesi, 2015

着いた先は新婦の家のようです。

先頭には恐らく新郎側の家族の男性たち、続いて女性二人に腕をとられた新郎と、嫁入り道具一式が続きます。
この新郎の両側にいるのは、姉妹なのかなんなのか。

Wakatobi_South East Sulawesi, 2015

Wakatobi_South East Sulawesi, 2015

Wakatobi_South East Sulawesi, 2015

マットレスも含めた嫁入り道具一式は、新婦の家の奥の間(恐らくここが夫婦の部屋)に運び込まれます。
ここでも、出入り口に近い部屋に男性たちが車座になり、奥の部屋に女性たちが控えます。夫婦の寝室はその奥。

しばらく寝室の中で何かしらやっている気配があり、それをみんなで待っています。

Wakatobi_South East Sulawesi, 2015

Wakatobi_South East Sulawesi, 2015

で、ようやく出てきたピンクの衣装の新婦。男性たちが集まる席に行き、偉い人に何かを読み上げてもらっています。

この後、新郎新婦は夫婦の部屋へ。
そして何かしらした後、部屋からお米を撒きました。

で、またご飯。四度目。

Wakatobi_South East Sulawesi, 2015

Wakatobi_South East Sulawesi, 2015

ヤギの頭まで。
こういうハレの場ではやはり肉食なようで、魚料理はなく、牛鶏山羊卵の料理。

この後、出席した女性たちの間で何かが手回しで配られ、わたしにも回ってきたので受け取ってみたところ、ピーナッツでした。
年配の女性が「早く結婚できるようにね、わたしはもう歳だから、あなた食べなさい」と笑いました。既婚ですが、食べておきました。

Wakatobi_South East Sulawesi, 2015

嫁入り道具、と書きましたが、これらが持ち込まれた先は恐らく新婦宅で、
ということは婿入りになるのか、母系社会なのか、母系ではないけどそういう習わしなのか、気になるところなのですが、
区長さんは遠い席にいるし、周りの女性たちは現地語で話しているしでなにが進行しているのかイマイチ分かりませんでした。
新婦が登場してようやく「本当に結婚式だったんだ」と思ったくらいに。

インドネシア各地、インドネシア語とは別にそれぞれの地方語があり、土地の人同士はその地方語を話している場合が多いのですが、
ここ、ワリで使われている言葉はチアチア語という言語。
この日は一日、最初のお家から、新郎宅、新婦宅と、ずっとチアチア語に囲まれていたわけです。
異国の客とは認識されていて、みんな興味深気に優しく接してくれているのですが、
「これはなにをしているの?」「これになんの意味があるの?」「どうしてあんなふうなの?」など、イマイチ訊ねずらかったので、
仕方なく、覚えたてのチアチア語で「猫(ベカ)」とか「ヤギ(ベンベ)」などと言ってみて笑いを取っていました。

区長さんの話しによると、このワリの地域には以前、独立した王国があったのだそうです。
最終的にその王国も、当時この一帯の覇権を握っていたブトンのスルタンの支配下におさまることになるのですが、
それを望んでいなかったワリの人々は、ブトンのスルタンに抵抗。
ワカトビのほとんどの地域でブトン語を話す今でも、ワリの辺りではブトン語を使うことは好ましくないとされているそうです。
(ブトン島は多言語の島なのですが、スルタンの話しから察するに中心地のバウバウ辺りで使われている言葉だと思われます)

Wakatobi_South East Sulawesi, 2015

村の外れには、ブトンのスルタンに対抗すべく築かれたという砦が残っています。
ちなみに、ブトンのスルタンは、南スラウェシのブギスとも対立していたと言われ、何かと敵対関係の多いスルタンだったようです。

とはいえ、ブトンの言葉を使ってはいけないと言われつつもチアチア語自体がブトン語の下位言語にあたるらしく、
当時この地域を支配したスルタンの兵士たちが残した言語ではないかと言われています。

また、チアチア語は無文字言語で、現在その話者はビノンコの一地域とブトンのごく一部に残るのみとなっているらしく、
そのため、区長さんの家には一時期アメリカから調査に来た言語学者が長く滞在したりしたようです。
この無文字言語を表記するために、と2009年にハングルを用いる旨決定があったようなのですが、
わたしが訪れた2015年の時点では、ビノンコではまだ適用されておらず、学校でも特に習ってはいないという話しでした。

チアチア語、いくつかメモにあるのですが、先の猫=ベカ、ヤギ=ベンベの他、
- 犬=アウ
- 魚=イサ
- マヌ=鶏
- ポロク=飲む
- マア=食べる
- マア ポ=さあ食べよう
- ウンカウンカカ=子どもたち

Wakatobi_South East Sulawesi, 2015

なのだそうです。

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この日、結婚式から戻った晩、区長さんの奥さんが作ってくれた晩ご飯が五度目のごはんとなりました。



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