サヴの慣習村

Savu_East Nusa Tenggara, 2011

サヴは、住人の約8割がプロテスタントといわれる島ですが、先行する島の土着の宗教もあります。
ジンギティウと呼ばれるのがそれ。今でもジンギティウが生きている慣習(アダット)村もあります。

セバの近くの、ナマタと呼ばれる慣習村。
村の建物について、そして2011年に訪れた際にたまたま居合わせた儀式について、今回の再訪で少し詳しく聞くことができました。
とは言え、説明をしてくれた女性は(言葉を探しながら一生懸命に伝えようとしてくれたものの)インドネシア語が苦手なようで、
なので、汲み取れた範囲でのお話になります。

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ナマタ村の入り口には、儀式などを行う大きな石の広場。
島のどこかから切り出してきた、大きな円盤状の石たちがいくつも並べられてるこの場所は、村の上部にあたります。

Savu_East Nusa Tenggara, 2018

Savu_East Nusa Tenggara, 2018

この広場の下に、ひさしを深く低く下ろすサヴ特有の屋根をした慣習家屋があります。

Savu_East Nusa Tenggara, 2011

船を逆さまにしたような屋根は、ロンタル(オウギヤシ)の葉を乾燥させて葺いたもの。
家の建築には釘などの金属は一切用いられていません。

Savu_East Nusa Tenggara, 2018

Savu_East Nusa Tenggara, 2011

その内部。
地面から数段あがって板場があり、そこからさらにあがった部分が開けた座場、その一部に壁をしつらえて区切ってあります。

船で言うなら舳先にあたる先端部分の柱には、水牛の角。葬儀であったりの儀式の際に屠られたものだそう。

Savu_East Nusa Tenggara, 2018

まっすぐの柱が中央の柱。
この家で、男性が亡くなった場合はこの中央の柱に凭せ掛けるようにして座らせるのが、葬儀の決まりなのだそうです。
もし亡くなったのが女性の場合は、ひとつ前の写真にある小部屋の仕切り壁を全て取り払い、
その前にある柱に、この水牛のある中央の柱に向かうように凭せ掛けて座らせるのだそうです。

その小部屋の向こう側。船で言えば、船尾側。

Savu_East Nusa Tenggara, 2018

隣側は暮らしのスペースというのでしょうか。
この下部の中は、台所になっています。

Savu_East Nusa Tenggara, 2011

素焼きの壺が鍋となり、壁には椰子の実や、ロンタルの葉で編んだ皿などがぶら下がっていました。

Savu_East Nusa Tenggara, 2011

Savu_East Nusa Tenggara, 2011

この慣習家屋のうち2軒で、鶏を捌いていたのが2011年の訪問時。
捌くと言っても儀式であり、迎える農耕期の作物の出来を占っていたのだそうです。

Savu_East Nusa Tenggara, 2011

やはりロンタルの葉を使って、鶏の羽を燃やします。
そして、お腹を開く。入念に腸を探ります。

Savu_East Nusa Tenggara, 2011

つまみあげているのが、盲腸。
この盲腸が立ち上がっているのが良い兆候、寝ている盲腸はあまり良い兆候ではないと解釈されるのだそうです。
幸い、この時には良い兆候が出たとのこと。

この鶏は、台所で調理され、ご飯と塩で味付けした鶏肉、そしてスープという食事になります。

まずその食事を、家屋の屋根裏の部分に。

Savu_East Nusa Tenggara, 2011

Savu_East Nusa Tenggara, 2011

この屋根裏は、部外者には見せてもらえなかったのですが、
もしかしたら、お隣の島であるスンバの家屋同様、屋根裏は聖なる場所とされているのかもしれません。

そして、料理は儀式に立ち会った全ての人に振る舞われ(とは言え、内輪の儀式なので大人数ではないのですが)、
出された者は完食せずとも、必ず口を付けなくてはならないと言われます。

今回訪問して知ったのですが、この儀式には先立つ儀式がある一連のものなのだそう。

儀式はまずは8月の満月の夜、月が天頂にかかった時から始まります。
やや内陸にある村ではありますが、浜辺まで降りて行き、そこで珊瑚を拾ってくるのだそうです。
そして1ヶ月、干す。
翌9月の同じく満月の夜、その1ヶ月間干した珊瑚を燃やす儀式を行います。
しっかり燃やした珊瑚は砕いて石灰とし、村での儀式、染め、そしてシリー(キンマ)を噛む時、などに使われます。
そしてその後、同じ9月の新月の日に、この鶏を使った儀式を行うのだとか。

この儀式を行っていた長老は、2011年の時点で90歳を超えていると言われていました。
村では、いくつであれ長老は亡くなるまで交代することは許されず、屋根裏へ上がるなども自らが行うことが求められます。
その死後は一定の移行期間を経て(その間別の長老が代行)、
村の人々の合意を得た上で、家族の中から次の長老が決められるのだと言われています。

Savu_East Nusa Tenggara, 2011

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「長老」という表現をしていますが、この慣習村の中で長たちがどういう関係で存在するのか、
また、珊瑚と鶏の一連の儀式の関連については、どうしても理解のできる説明が成り立たなかったので、いずれ機会にまた。
この写真の長老は、数年前に他界されたとのこと。現在は家族からの別の人が後を継いでいるそうです。



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