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ボティ村の学校寄付金のご報告①

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Boti_East Nusa Tenggara, 2019 (Photo by Ms. Dewi) 沢山の方々からご支援をいただくことになった、 前回の記事 。 本当にありがとうございました。 その第一回目の寄付の使途報告をこちらでさせていただきます。 --------------------------------------------------------------- 第一回目の寄付金として、ボティ村の高校へ送ったのが5500万ルピア(約42万円)でした。 これは、予想を遥かに、遥かに超えた金額で、 わたしはもちろん、ボティのデウィ先生も、言葉にならない感謝の気持に胸が詰まる思いでした。 新学期に向けての支援だったので、新入生受け入れと設備補充をメインとし、以下が使用内訳となります。 ① 生徒たちの学用品(制服、靴、靴下、鞄、筆記用具等)、新学期及び新カリキュラム移行の準備:4,308,000ルピア ② これまでの一年間授業を無償サポートしてくれていた中学の先生への謝礼:18,000,000ルピア(3,000,000×6人) ③ 備品(机+椅子+運送料):13,500,000ルピア ④ ノート型パソコン(3ユニット+購入のための交通費):19,400,000ルピア 合計 55,208,000ルピア 詳細は、 ① 学校は無償で生徒たちを受け入れていますが、それでも入学時には制服などの準備が必要となります。 その準備を整える余裕のない家庭の子どもたちには、学校側から支給という形をとりました。 今年の新入生は11人。 中には、孤児であったり、父子家庭であったりと決して余裕のある暮らしではない生徒もいますが、 それでも、中学を卒業して次の過程へ進みたいと希望した子どもたちです。 学びたい意欲のある生徒たちの、その意思と権利をサポートします。 Boti_East Nusa Tenggara, 2019 (Photo by Ms. Dewi) Boti_East Nusa Tenggara, 2019 (Photo by Ms. Dewi) Boti_East Nusa Tenggara, 2019 (Photo by Ms. Dewi) ② 無償の授業ということは、つま

ボティ村の学校

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Boti_East Nusa Tenggara, 2019 5月の終わりに、東ヌサトゥンガラ州にあるボティ/Boti 村を訪れました。 その村で出会ったひとりの先生と、彼女の教える、まだ新しくて小さな学校のお話しです。 ------------------------------------------------ ボティ村は、東ヌサトゥンガラ州中南部の山中に位置する、人口3,000人ほどの村です。 インドネシアの首都ジャカルタからは、直線距離でほぼ2,000km。 ティモール島の山の中。携帯の電波も届かず、人々は主に農業で生計を立てています。 South Central Timor_East Nusa Tenggara, 2019 この村で織られている布を見るために訪れたのですが(そのお話もまたいずれ)、 村に泊まった翌朝、坂を駆けて学校へ向かう子どもたちの足音に釣られ、散歩にでかけました。 Boti_East Nusa Tenggara, 2019 坂を下って村役場のある方まで。 途中、沢に水を汲みに行く人たちや、薪を集める人とすれ違います。電気も水道もガスもない村です。 そして、1枚目の写真の建物の横を通りかかったのです。 椰子の葉茎の壁、椰子の葉の屋根、ガラスの入っていない窓に土間の床、7人の生徒たち。 高校でした。 写真の中央にいるのが先生。 「今日はテストなの」と言いました。 テスト前に少しだけ、話しを聞くことができました。 一棟だけのこの木造の建物が校舎で、出来て1年。7人の生徒が1年生で、もうじき次の学年が入ってくること。 先生はボランティアとしてスマトラ島のメダンから村に来ていて、立ち上げを含めもうじき2年になること。 村の首長たちと相談して高校を作ったこと、学費は全て無料であること、そして彼女も無給であること。 彼女のバックグラウンドは宣教師であること、そして、行政はあてにならないこと。 Boti_East Nusa Tenggara, 2019 入り口から入って手前側が教室、奥のスペースには本を置いて、放課後の小中学生にも解放する図書館としています。 ホワイトボード、4つの机、8つの椅子、本棚と本たちと、1つの壁掛け時計。 それが

ボートの形

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Prigi_East Java, 2009  島国インドネシア、あちこちを旅していると意図するしないに関わらず、船の写真がたまります。 これまで撮った写真たちの中から船、特にボートが写っているものを徒然に。 ----------------------------------------------------------------------- 旅先で漁村に立ち寄って漁師さんから話しを聞くのが結構好きだったりします。 その時に、なんとはなしに船を観察していたりもします。 鶴見良行は『辺境学ノート』(1988年めこん)の中で漁師たちの船についてのメモを残していましたが、 実際、漁船には地域差が見えて、面白いのです。 最近読んだ門田修の『海が見えるアジア』(1996年めこん)の中に、 台湾の蘭嶼島に住むヤミ族のボート、チヌリクランの写真がありました。 National Taiwan Museum, 2018 この写真は、たまたま台北の博物館に行った際に撮っていたもの。 船首が丸みを帯びてほぼ垂直に切り上がっている、その形に見覚えがある気がして、古い写真を探ってみました。 Prigi_East Java, 2009 2009年に訪れた東ジャワ南岸のプリギの漁港。 そこに停泊していた漁船のうち、小さいボート(手前)がやはり曲線を描いて垂直に切り上がる形なのです。 写真で見る限り、結構似ています。 ここの漁船、サイズの大きなボートになると、いたってふつう。 Prigi_East Java, 2009 ただ、このプリギの、漁港ではない別の入り江にいたボートはまた少し違って、そして他であまり見ないかっこよさ。 Prigi_East Java, 2009 Prigi_East Java, 2009 やや大型のボートです。 この入り江の船全てがこの形なわけではなく、一部だけなのですが。 どういった由来の船なのか、この時ちゃんと聞けばよかったと、10年経った今でも思います。 Prigi_East Java, 2009 一方こちらは、中部ジャワの北岸。 スマランだったか、もう少し北に行ったジュパラだったか。 Semaran